親切と不親切、自由度と一本道 ・・・その2

木村です。
和田さん、週に一度の更新を目標に!と始めたのに
なんか、更新頻度高すぎです。
ゆっくりいきましょうよ~。


うーん、そうですね。僕は怒ってますね。
「自由度をもとめたから、不親切になってしまいました。」
この手のロジックは間違えていると思います。
和田さんがこれに似た発言をすると、
僕はどうしても怒らざるおえないんですよ。

実際、和田さんじたいがそんな風におもってることはないんですが、
それを聞いてまわりがそう解釈しちゃうのがいやで反論してるかんじかな。


なんていうのかな、僕も自由度の高いゲームが好きです。
ただ、“自由度が高くても導入がよければ、
しっかりその世界を楽しめるようになる。”
そういうふうに作れるんじゃないかとおもってます。


さらにいうと、ゲームってのはそもそも自由なんじゃないですかね?
ビデオゲームに物語がついたあたりから、
自由度なんていうなぞの言葉ができただけ。


なんで、僕がゲームのことをオモチャとよんでいるのかというと、
それは、ラジコンやルービックキューブのようなオモチャを
つくるのに近い感覚があるのを忘れちゃだめだってことなんですよね。
物語はあくまで、その操作性のあるオモチャに
のっかりやすくするための演出にしかすぎないんだとおもうんです。
たとえば、それが2D画面の物語主体のアドベンチャーゲームであれ、
コントローラーをユーザーにもたせた時点で、その本質からは逃れられない。

なんていうか、“不自由な自由”。かぎられたルールの中で
自由っていうかんじかな。
それが、“ゲーム”なんじゃないでしょうか。
トランプでも囲碁でもマージャンでも、モノポリーでも
アクワイアーでも、ラジコンでも、ルービックキューブでも。
自由か不自由かを論じる時点でなんか違うんじゃないかな。


・・・とこれが僕の中にある正論。

ただし、なぜかこの正論がうまく実行できない。
されてないのが現状。自分がたずさわってきたゲームでも
しっかり正論をつらぬいたことなんてない。
そういうのがすごく悔しい。
で、今回はその方法を考えて実行しようとしてます。

イマジネーションと、それ以外の部分。両方です。
お金と時間と人。開発力に組織力、知恵と勇気と体。
宣伝、営業。そのほかもろもろ。
そういうのがすべてそろって、
今、僕は僕なりに最大限の工夫をしようとしています。


尊敬する赤瀬川原平先生のように、それらの”力”を統合して
ひとつの呼び名をつけてみました。

そ、、それは ”だんどり力(ダンドリリョク)”

うひゃー、ゴロ悪い!しかもなんか夢がない!?

とにかく、これがクオリティーをあげるのに大事なのです。
いくらよいアイデアをもってしても、
これがないとポテンシャルが出し切れないのです。

今回はプロデューサーの僕がその力を出す役をやります。
ディレクターだった僕には新しい挑戦ですが、
真摯に一歩一歩進めてゆきたいものです。地道にね。


追伸
そうそう、だからこそですが、和田さん、ひとつ、安心してください。
このプロジェクトやっている間に、アフリカいったり、
メキシコいったりはぜったいしません。
だ・・だって、日本にいないと、
”だんどり力”が発揮できなくなっちゃいますからね・・(笑)
でも、終わったら、旅にでます。たぶん。

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