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第四話「終焉」

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【2】

 <帝国領内>は<魔道師隊隊長イアン>の権限で、
<教区内>は<熾天司教フェリクス>の権限で、三人の旅は驚くほど順調に進んだ。

 換え馬も食料も宿も情報も――、必要と思われるものの全てが、思いのままであった。
おかげで予定の半分で、<法王庁・聖都>までたどり着いた。


 ねずみ色に折り重なる分厚い雪曇の隙間から、薄い冬の光が地上へと降り注いでいる。
秋の<収穫祭>を終えた<聖都>には北風が吹き渡り、人影もまばらで、どこか寂しげであった。
慣れ親しんだはずの風景がどこか冷たくよそよそしく見えて、フェリクスの心はざわめいた。


  (もう、私の心が、ここを故郷と感じることはないのかもしれない……)


 それは<法王庁>を発った時には、思いもしなかったことであった。

 マリーを探し出すという人生の<使命>を果たし終えたフェリクスにとって、
もはやこの<法王庁>を頼りにする気は起きなかったのだ。
出来ることなら故郷の村に帰り、マリーをはじめ亡くなった村人を弔って静かに暮らしたかった。

 だが――、とフェリクスは思った。


  (まだ、遣り残したことがある。
   何故、<皇女>が生まれねばならなかったのか?
   私は、そのわけを知らねばならない……)


  「大丈夫か?」


 イアンがフェリクスに声をかけた。
フェリクスは、壁に身をもたせかけ、浅い眠りについている<皇女>の顔を覗き込んだ。


  「ああ、今、起こそう」

  「違う。お前のことだ」


 空色の鋭い瞳が、ひたとフェリクスを見つめていた。


  「お前のほうが参っているように見える。どこかで休むか?
   お前の<使命書>があれば、ここではなんでも自由にできる。急ぐ必要はない」


  「いえ、<教皇>の元へお願いします」


 フェリクスの背後で、<皇女>がゆっくりと身を起こしていた。


  「<教皇>は、<陛下>が、私を手放すとは思っておりません。
   こちら側の事情が読まれぬうちに、動くべきです……。

   その後は、もうあなた方は自由です。お好きなところへ、向かってくださって結構です。
   <帝国>も<法王庁>も手出しできぬようにさせましょう」


  「まるで世界を手に入れたような口ぶりだな? 今度は<教皇>の娘になりすます気か?」


  「イアン、よせ――」


  「いや、はっきり言わせてもらう。

   <約束>を立てたのはお前だけだ、フェリクス。
   いざとなれば、俺は剣を抜くのに躊躇いはしない」


  「イアン!」


 言い争うふたりの様子を静かに観察し、<皇女>は首を振った。


  「フェリクス様、そこまでで結構……。

   イアンシル様、どうぞ、あなたの思うようになさってください。
   私を斬り捨てるべきと判断したのなら、その時はお好きに……」


  「しかし――」


 呻いたフェリクスの言葉の先を、<皇女>は僅かな所作で摘み取った。


  「あなたがたが私を信じられぬように……、
   私もまた、あなたがたを信じているわけではないのです……」


 <皇女>は、そう言ったきり押し黙った。

§ § § § §

 祭事用の香と、薬草園のハーブと、古い書物の匂い。
白い石の<聖堂>には、三つの香りが入り混じった独特の空気が流れていた。

 揃いの制服をまとった<神官>たちが<千年祭>への準備に向け、忙しく立ち振る舞う中、
フェリクス、イアン、<皇女>の三人は姿を隠すことなく、堂々と歩いていった。

 鮮やかな赤いマントをなびかせたイアンと、海のように深い青いローブをまとったフェリクス。そして、ふたりに挟まれて、純白のドレスをまとい長いヴェールを垂らした<皇女ロズマリン>。

 <魔道師隊隊長>と<熾天司教>と<帝国・皇女>として正装した三人の艶やかな姿は、
周囲にいた神官たちの目を否応なく惹きつけていく。

 中には、<神官>時代のフェリクスたちを知る者もあって、いぶかしげに首をかしげていた。


  「おい! あれはフェリクスとイアンではないのか?」

  「バカを言え。<七つ村>への<使命>の途中、ふたりは殉職したじゃないか」


 そんなやりとりが、あちこちで起こりはじめたときだった。
若い<司祭>のひとりが、ようやく騒動の元である三人へと駆けつけた。


  「どのようなご用件でしょうか?」


 フェリクスは<使命書>を取り出した。


  「私たちを、<教皇ヨナタ二世>の下へ――」

  「!」

§ § §

 <司祭>たちの手で、天上界の様子を彫り込んだ立派な扉が開かれる。
恭しく頭を垂れる<司祭>たちの間を颯爽と歩いて、フェリクス、イアン、<皇女>の三人は、
扉の中へと入っていった。

 そこは、<法王庁>の最上階のフロア全てを使った、円形の広々とした部屋であった。
天上には光射す青空が、壁面にはぐるりと神々しい<神々>の姿が立体的に描かれている。

 <法王庁・教皇の間>――。
フェリクスとイアン、そして<皇女>とは、武器を奪われることもなく、
<法王庁>の中枢へと招き入れられていた。

 中央に置かれた樫の机の向こうで、革張りの椅子から、ゆっくりとその人物は立ち上がった。


  「待っていたよ、フェリクスにイアン。ふたりとも、元気だったかね?」


 白い髭を蓄えた小柄な老人が、軽快な足取りで進み出た。


  「ダビド先生……」


 くったくのない人好きする笑顔が、フェリクスへと向けられていた。
その白い髭に覆われたしわだらけの優しい顔は、忘れもしなかった。
八年前、<皇女>の魔力に巻き込まれ<トルーフィールド村>が消滅した後、
フェリクスを見つけて介抱してくれた、厳しくも優しい町の老医師ダビド……。


  「ダビド先生! 生きておられたのですね! でも、なぜ、<法王庁>に……?」

  「フェリクス……」


 イアンがひどく低い声でフェリクスの名を呼んでいた。
と、その途端、イアンの長身が揺れて、床へと崩れ落ちていった。

 イアンの身体の影から、ゆっくりと流れ出した赤い液体を見て、フェリクスは一瞬混乱した。
それが血であると――、わからなかったのだ。


  「イアン!」

  「手当てするなら手を貸すぞ。医師と薬師が組めば、助からんものも助かるかも知れぬ」


 イアンに駆け寄ったフェリクスを、ダビドが笑顔で見下ろしていた。
フェリクスは、ぞっとしてダビドを見つめた。マリーを助けられず、故郷を失った悲しみに
心狂わんばかりだったフェリクスに、<法王庁>で学べと、道を示したその張本人。

 だがそのしわだらけの手には、イアンの身を貫いた禍々しい魔力がほとばしっていた。


  「一体、あなたは……!」

  「手当てが要らぬなら、楽にした方が良いかね?」


 陰りのない満面の笑みを浮かべつつも、ダビドの指先からは魔力の光がこぼれていた。
針のように細まった魔力の光。その切っ先が、イアンの腕を黒い甲冑ごとえぐっていく。


  「ぐっ……」


 イアンが低く呻いた。甲冑の影からは、じわじわと鮮血が噴出していく。
フェリクスは顔を引きつらせ、叫んだ。


  「やめろ! やめてくれ!」

  「そうそう、そうでないとなフェリクスは。では手当てをしようじゃないか」


 ダビドは机に向かい、大きな引き出しから医療器具のひと揃えを取り出すと、
イアンの甲冑を手早く脱がして開いた傷を抑えた。

 左手で印を結び、回復魔法をこまめに唱えながら、
右手は鍵盤でも叩くような軽やかさで、傷口をリズミカルに縫い上げていく。

 ものの数分ですっかり治療を終えたダビドは、ぽんっとイアンの腕と腹とを叩いた。


  「これでよし、と。

   やれやれ、無益な血は流させんで欲しいものだ。
   イアン、お前が悪いのだぞ。いきなり魔法剣なんぞに手を掛けるから」


  「俺は……俺は、お前を知っているぞ……。

   お前は、<連合>の指導者……、裏切り者のレッセル!」


 イアンが声を限りに叫んでいた。空色の瞳が憎悪に燃え上がり、輝きを増す。
鋭く睨まれて、ダビドはこっくりとうなずいた。


  「そう、レッセル・ド・クーバンと、名乗っていたこともあったよ。

   その名では、終戦直後の<旧連合>を混乱させ、
   軍部に責任をなすり付けるために奔走させてもらった。

   ダビド・ブランドルと、名乗っていたこともね。
   その名では各地をさ迷っていたな。
   戦争孤児たちを拾い集め、特に優秀な者を<法王庁>へ送り込むのに忙しかった。

   わしは実に多忙な男なのだ。
   ひとつの身体、ひとつの肩書きでは、とても<使命>を果たしきれん」


 ダビドは、フェリクスの胸に残る八年前の記憶と同じように、優しい微笑を浮かべている。
八年前には心の支えともしたその笑顔に吐き気すら感じ、フェリクスは声を震わせた。


  「あなたが、<教皇ヨナタ二世>なのですか……?」

  「それもひとつの名でしかない」


 顔中のしわを一段と深くして、ダビドは目元を緩ませると、
硬くこわばったフェリクスの表情と、憎しみに顔を歪ませているイアンとを順番に眺めた。


  「フェリクスよ……。
   お前はわしが見てきた中でも、一番優しく賢い子だ。

   そしてイアン……。
お前はわしが知る中でも、もっとも勇敢で強靭な男だ。

   そのふたりが、こうして<古代兵器>を携えてきてくれたことに、わしは運命を感じる。
   <皇女>の身柄は、確かに預かろう。これを<皇帝>に使わせてはならぬ」


 ダビドは、いや――、<教皇>は、穏やかな微笑をたたえたまま<皇女>へと向かった。
その微笑とは裏腹に、しわだらけの手からは怪しい光が放出され、鋭いメスのようになっている。フェリクスはハッとした。


  「<皇女>、逃げろっ!」


 フェリクスが動くより早く、<教皇>の指先から魔力が放たれる。
細く研ぎ澄まされた光のメスが、<皇女>の頭めがけて突き進む。

 と、<皇女>が、袖を翻し、さっと手をかざした。

 とたんに<皇女>の足元に光の線が走り出す。
走り出した光の線が、複雑な文様を床に刻みながら、素早く美しい魔方陣を展開すると、
<皇女>のかざした手の前には、円形の魔法の光が広がり、盾となった。

 <皇女>のかざした魔法の盾は、<教皇>の放った鋭い魔力を跳ね返し輝いた。
その輝きは、まるで純度の高い水晶のような、青白く澄んだ輝きであった。

 <皇女>の足下に魔方陣が展開し、
その手に現れた<水晶の盾>が<教皇>の魔法を跳ね返すまで。
それは、ほんの一瞬の出来事だった。

 驚きに目を見張るフェリクスの前で、<水晶の盾>と<教皇>の魔法は激しく衝突した。

 <皇女>がさっと手を凪ぐと、<水晶の盾>はうなりをあげ、その角度を変えた。
受け止めていた魔法を叩きつけるように、<教皇>に向かって跳ね返す。
弾かれた魔法の光が、<教皇>の白髪をかすめ、壁にぶつかって爆発を起こした。


  「む……!」


 <教皇>がさっと身を避けつつ、後方へと顔を向け、爛れた壁を見つめた。



壁面に描かれた<神々>の顔が、がらがらと音を立てて崩れていく。



  「ほほう!」


 <皇女>へゆっくりと振り向きながら、<教皇>は片方の眉を上げた。
片目だけを丸く見開き、白い顎髭に手をやり、にこにこと笑い始める。


  「なかなかに、いい!

   今まで見た実戦兵器の中でも、最高の出来栄えだ。
   訓練さえ積めば、多少は使えるだろう。

   だが、惜しかったな! いかんせん時間がない――!」


  「その時間を埋めるために、私はここまで来たのです。
   お選びください。私を拒んで苦しむか、受け入れて生き延びるか……」


 そう言い放つ<皇女>の顔には、いかなる感情も浮かんではいなかった。
ミルク色の顔の上、硝子細工のような澄んだ瞳が星の輝きを宿し、静かに瞬いている。

 <教皇>は笑顔でうなずいた。


  「無駄な血を流す気はないと言ったろう?

   よかろう。そなたに、<福音書>を開示しよう」


  「……!」


 フェリクスは息を飲んだ。<帝国・皇帝>が<皇女>と交換にしてまで求めた秘密。
<皇女>が創造主である<皇帝>を裏切ってまで、求めたその秘密。


  (<皇女>が生まれてきたわけが、今、明らかになろうとしている……!)


 壁の一角に描かれた神々しい<女神>に歩み寄り、<教皇>は手を差し出した。
<教皇>の手が、描かれた<女神>の手の上に、ぴったりと重なる。

 <女神>の手が動きだし、天を指し示す。
天上画の青空が割れ、その中から太陽のように輝く、<白い水晶>が降りてきた。
それは赤ん坊ほどもある、大きな<水晶の塊>だった。


  「<記録水晶>……?」


 つぶやいたフェリクスに、<教皇>が優しい笑みを返す。


  「フェリクスは、本当に出来がよい子だ。

   そう、<福音書>は<神々>が与えたものではない。
   これは――我ら人類が、長い間かけて蓄積してきた、偽りない真実の歴史書なのだ」


 部屋の照明が落ちていった。
<教皇>が手をかざすと、<福音書>と呼ばれてきた<記録水晶>は眩い輝きを放った。
<記録水晶>から溢れだした光が、ゆっくりと四方へと広がっていく。
やがて光は壁に行き着くと、部屋の中いっぱいに、立体的な映像を結んだ。


 青空の下、四角く真っ直ぐな塔が無数に立ち並ぶ街が見えた。
塔のひとつひとつは<帝国城>の何百倍もの大きさで、その表面は太陽の光をきらきらとして
水晶か、硝子で出来ているように見える。

 道は川に掛かる橋のように高さで、迷路のように複雑に交差しており、
その上を、鉄で出来た四角い馬や、同じく鉄で出来た細長い馬たちが走っている。

 塔の中でもひときわ高いものの屋上に緑豊かな空中庭園があった。
そこには大勢の人々が集まって、中央にしつらえられた壇上を見つめていた。

 壇上には、十数名の人々が立っている。
皆、気品があり、様式は違えど、煌びやかな衣服をまとっていた。
彼らは、その世界における地位のある人々のように見受けられた。

 その中から、ひとりの男が祭壇のようなものへと進んだ。
男が膝を折り、腕を組み合わせ、祈りを捧げるようにして、天を仰いだ。


 部屋中に溢れ出した映像の中、フェリクスは思った。


  (<法王庁>の祭りにそっくりだ。<神々>を呼んでいるのか……?)


 フェリクスたちは今、<福音書>の見せる遠い時代の<千年祭>に立ち会っているのだ。


 映し出された映像の中に粉雪のような、美しい光の粒が舞い始めていた。
空の彼方から、その光は降り注いでいた。
太陽とは違う、星とも違う、澄みわたった清らかな光の粒。
降り注ぐ光の粒を見上げ、人々の顔には驚きと、喜びが同時に広がっていく。

 はしゃぎすぎた子供たちが、母親に頭をぽんぽんと叩かれている。
感激に打ち震え、誰彼かまわず手を取る若者たち。うずくまって泣き出す老人もいた。

 澄んだ光が降り注ぐ中、雲を割って、白い巨大な影が舞い降りてきていた。
まるで幾重にも折り重なった白い花びらのようなその物体は、ゆっくりと地上へと下降する。

 その物体が高度を下げるにつれ、その姿もはっきりと見て取れるようになった。
白い花の蕾のように見えたそれは、巨大な翼が折り重なったものであった。

 人々は希望に瞳を輝かせ、街を覆うほどの巨大な翼を見つめた。
白い翼が一枚一枚、まるで花開くようにゆっくりと、ゆっくりと開かれていく。

 と、そこに――。六枚の翼を背負い、ひとふりの剣を胸に抱いた、美しい女性が姿を現した。
白い翼の中、現れた女性は、眠るように瞳を閉じている。


  「<女神>だ――!」


 はじめて目にする<神>の姿に、フェリクスは我を忘れ、叫んでいた。


 空中庭園に集う人々も、町を歩いていた人々もフェリクスと同様、口々に何事かを叫び、
頬を上気させ、天に浮かぶ、美しい<女神>を見上げている。
白い花に抱かれたような眠れる<女神>の姿に、全ての人が心奪われていた。

 祭壇の上の男も陶然とした表情で、しばし<女神>に魅入っていた。

 と、<神々>を迎える役目を思い出したのか、男の顔に緊張が走った。
男は深呼吸をしてから、震える腕を<女神>に向かって、恭しく差し出した。

 <女神>は瞳を閉じたままであったが、男の気配に気づいた様子で、ゆっくりと顔を向けた。
こちらへと振り向いた<女神>を見上げ、感極まった男は、一歩前に出た。

 その男の顔を、妖しい紫色の輝きが照らし始めていた。

 <女神>の胸元に、禍々しい紫色の光が集い始めていた。
集まった光は凝縮され、青紫の大きな光の球となって膨れあがっていく。

 何が起ころうとしているのか、誰にもわかりはしなかった。
人々は<女神>の胸元で妖しく揺らめき輝きを増していく紫色の光球を呆然と見上げていた。

 瞬く間に膨れ上がった紫色の光球が一気に弾け飛んだ。
弾けた光と共に、激しい衝撃が空を駆け、地を駆け抜けた。
<女神>を中心に急速に広がっていく強烈な光と衝撃に、世界は一瞬で包み込まれた。


  「な、なんだ!?」


 突如弾けた紫色の光球は、<教皇の間>いっぱいに溢れ出していた。
映像に過ぎないはずの激しい衝撃の風が、自分の体をも巻き込み、吹き飛ばしそうに感じられ、
フェリクスは足を踏ん張り、目を細めた。

 眩い輝きに目を細めつつも、フェリクスは流れていく映像を読み取ろうとした。
光が収束し、徐々に映像が戻る。


 そこは――、黒くただれた大地だった。
先ほどまで映し出されていた巨大建造物に囲まれた街の様子とのあまりの違いに、
フェリクスは、はじめそれが全く無関係な別な場所を映し出した映像だと思った。

 だが幾ら待っても映像は無音のまま、焼けただれたような大地を写すばかりだった。

 フェリクスは辺りを見渡した。
亀裂の走る大地が、巨大な円形に抉り取られていることに気づき、フェリクスは息をのんだ。


  「こ、これは……!?」


 声がかすれた。映像を見つめるフェリクスの顔がこわばっていく。
見渡す限り彼方の地平まで、人々の痕跡など、なにひとつ残されてはいなかった。
それは、<トルーフィールド村>と<七つ村>とで見た爆発とは比べ物にならぬ程のもの。
あまりに大規模な消滅の跡であった。


 次の映像も、またその次の映像も同じことの繰り返しだった。
地上に興ったあらゆる文明は、<女神>の放つ妖しい輝きの中、一瞬で消え果てた。

 延々と続く映像の中で、フェリクスは叫んだ。


  「これは……!? これは、いったい、どういうことなのです!?」


  「聖暦元年――。
   神々は<はじまりの者>に、<祝福>をお与えになり<再会の約束>をなされたという」


 朗らかな<教皇>の声が、<福音書>の一節といわれてきたものを読み上げていた。


  「<祝福>など、どこにもないではありませんか!」


  「これより千年の後、我らは再びこの大地に立つ。
   その時、お前たちの子孫に、さらなる<祝福>を与えよう」


  「答えてください、<教皇様>! あなたは、知っているのでしょう!?」


  「今日この日の約束をはじめに、
   未来永劫、我々はそなたたちとこの地上を見守っていくのだ」


 フェリクスは<教皇>へと足早に歩み寄ると、その両肩を掴み、激しく揺すった。


  「教えてください――真実を!」

  「見ての通りだよ」


 そう答え<教皇>は、にっこりと笑った。
呆然とするフェリクスの手を振り払い、<教皇>は励ますようにフェリクスの肩を軽く叩いた。
そして、物語の続きを子供たちに語り聞かせでもするように、柔らかな声で語り出した。


  「<はじまりの者>が<祝福>を得て、今日のような文明を築き上げた?

   なるほど、確かにそうかもしれん。
   人類が<文明>を得るとき、そこには必ず<前時代の文明>の発見があったからな。

   <神々>が<前人類>を滅ぼさなければ、
   そんな<前時代の文明の恩恵>なども生まれないというわけだ。


   未来永劫、我々はそなたたちとこの地上を見守っていく?

   なるほど、確かにそうかもしれん。
   どんな文明であろうと、千年を過ぎる頃には必ず<神々>が現れている。
   そして、これも必ずだが、<神々>はその文明を跡形もなく吹き飛ばしてくれる。


   全ての消滅は、ある意味、<究極の祝福>だろう。
   それまで生きてきた<前人類>は、争い、貧困、老い、病――
   千年分積み重なってしまったそれら全ての苦悩から、一瞬で解放されるわけであるし、

   次に起こる<新人類>にとっては、手垢のついていないまっさらな大地と、
   千年も先を行くとんでもない<古代技術>が待っているわけだからな」


 恐ろしい言葉を次々と吐き出しながらも、<教皇>の顔には笑顔が絶えない。


  「神々は――、神々はいったい、我々に何を望んでいるのです!?」


  「では、聞くが、フェリクスよ――。

   お前が虫を潰す時、その目的を伝えるかね?
   麦の穂が枯れてしまうのは困ります、だから今からあなたを殺しますと」


  「!?」


 <教皇>はかぶりを振って、言葉を続けた。


  「真実など、わしも知らん。

   だが長いこと<神々>の諸行を見てきて、確信したことがひとつだけある。
   それは<神々>は、我々を滅ぼすのに、なんの躊躇いもないということだ。

   相手は<神>だ。

   千年ごとに文明を試しているのかもしれんし、単なる娯楽の一環なのかもしれん。
   そんな理由すら、存在しないことだってありうるだろう。

   お前に殺された虫が、お前の意識を読めんように。
   <神々>の意識は、人の頭で考えつく意味なぞ、無関係なところにあるのだ。

   そこを考えてもせん無きこと――」


 <福音書>と呼ばれてきた巨大な<記録水晶>は、まだ映像を流していた。

 華やかに発達した文明が、無機質な文明が、異様な姿の建物を持つ文明が、
いとも簡単に滅ぼされ、跡形もなく吹き飛ばされ、一瞬で消滅していく。

 文明の形はそれぞれだったが、そこに住む人々の表情はフェリクスたちとなんら変わらない。
赤ん坊をあやす若い母親も、甘く囁きを交わす恋人同士も、仲間たちとふざけあう若者たちも。
どれも見覚えのある温かい風景だった。

 それが、なんの理由もなく、一瞬でなくなる。


  「そんな……。これが<神々>の意志だなんて……!」


 底なしの恐怖と絶望。強い悲しみと激しい怒り。そして、たとえようもない虚しさ。
フェリクスは自分の心が、何を感じているのかすらわからなかった。
激しく逆巻く感情が、全身の血を煮えたぎらせ、血管が耳元で轟々と唸っていた。


  「ならば……。ならば、どうして、この事実を公表せんのだ!」


 床に横たえられていたイアンが、爛々とした目で<教皇>を見据えた。


  「そうだな、イアン。
   お前なら、<皇帝>と同じ道を選ぶだろう。剣を手に戦うのだとな。

   だがな、皆が皆、お前や<皇帝>のように雄々しくはない。
   お前たちに勝てる見込みがない限り、人々は簡単に心を折る。

   そこから先は、生き地獄よ。
   強者が弱者の命を弄び、子供らは真っ先に死に絶える。
   次は老人。その次は女。そうして次は、弱い男だ。

   世界は<神々>の裁きを待つこともなく、
   もっとも陰惨で、もっとも惨めな方法で、確実に滅びていくのだ」


  「人間を見くびるな!」


 鋭く吠えて、イアンは魔法剣を杖代わりに立ち上がった。
よろよろとよろめきながらも、フェリクスを押しのけ、<教皇>の胸倉に掴みかかる。


  「いいか! 皆が皆、俺のようでなくても、貴様のような腑抜けではない!」

  「そう思っていた時期もあったよ。そして、今はそれを後悔している……」

  「……?」

  「<福音書>を管理するこのわしが、何もせずに来たと思うのかね?」

  「まさか、あなたは……」


 フェリクスの声が震えた。<教皇>は、ふっと笑い声をこぼした。


  「やはり、フェリクスはいい子だな。

   そう――、わしが<はじまりの者>だ。
   この文明だけではない。全ての文明の、<はじまりの者>なのだよ」


  「!」


 <福音書>は、まだ映像を流し続けている。
<女神>の放った妖しい輝きの中、またひとつ、文明が滅び去っていた。
この目の前の人物は、こんな歴史を現実のものとして体験してきたというのか。


  「回避できぬ苦しみがあると教えて、誰が救われる?
   どうせ死ぬと言うのなら、その日を知らせず、伸びやかに生かしてやれ。

   心腐らせながら鬱屈とした日々を過ごし、
   その無限とも思える日々の積み重ねから、ただ一瞬逃れるためだけに、
   家族を、仲間を、無関係な人々を殺しあう。

   そんな人生を、誰にも歩ませてはならぬ。

   人は弱い。恐ろしく弱い。
   人は、己がなんの意味もなく、さしたることもなせず、
   必ず死を迎えてしまうのだというその事実を、認めることは出来んのだ。

   だから、生きる意味を欲する。

   己だけが果たせる。そう信じられる、<使命>が――。
   理由もなく滅びると、そうさだめられたこの世界だからこそ、
   なお切実に、なお一層に、それが必要なのだ――」


 フェリクスとイアンは言葉を失った。
頭の中が空っぽになって、なにひとつ考えられはしなかった。

 静まりかえった<教皇の間>に、ふと、澄んだ声が響き渡った。


  「<陛下>はこれを……。この映像を、見たかったのですね」


 <皇女>は包帯を巻いたその手を、<福音書>へと差し伸べていた。
流れ出る映像が銀の髪に反射して、この絶望的な場に不似合いなほど、美しく輝いていた。

 <皇女>の側に覆いかぶさるように、<女神>の映像が映し出されていく。
しなやかに翼を広げ、<女神>は青紫に輝く光球のエネルギーを、世界へと解き放つ。
衝撃波に巻き込まれ建物が崩れ、人々が吹き飛び、形ある全てのものが一瞬で砕け散る。

 もう幾度目になるかもわからない、地上の消滅。
その恐ろしい光景を睨んで、<皇女>は凛々しい眼差しをあげた。

 再び別な文明が<女神>の訪れを迎えていた。
<女神>の胸元で、青紫に揺らぐ光の球が力を貯め、一気に弾ける。
凄まじい早さで地上を舐めていく、その輝きの前に、<皇女>はさっと手を振りかざした。

 <皇女>の足元に瞬時に魔方陣が広がり、その手の先に<水晶の盾>が現われる。
映像の<女神>の放った光は、地上の街を溶かしつくしていた。
だが、<皇女>の<水晶の盾>は、<女神>の光が広がるより先に展開を終えていた。

 青白く輝く<水晶の盾>を見つめ、<皇女>の瞳が力強く輝いた。
<水晶の盾>を支える細い指先を覆っていた包帯がほどけ、自然と滑り落ちていく。


  「間に合う……! 私なら、間に合う!」


 澄んだ声が情熱的に弾けた。
むき出しとなった<皇女>の継ぎはぎだらけの歪な手に、生き生きとした魔力がみなぎった。
白く澄み渡った魔力が渡っていくと、縫い合わされた肌の継ぎ目が滑らかになっていく。


  「まさか、あなたは……?」


 街を破壊する激しい光の爆発。そのおぞましい映像の中、<皇女>の顔がゆっくりとめぐる。
問いかけたフェリクスへと振り返り、<皇女>は力強くうなずいた。


  「そうです。

   この――、<女神>――と戦い、勝つために――。

   そのために、私は生まれてきたのです!」


 そう告げた<皇女>の顔色は、今や人形めいたミルク色ではなかった。
頬が生き生きと薔薇色に色づいてゆき、その淡い唇の色も血色を得て、美しい紅に染まる。
豊かに広がる長い銀髪に魔力が渡りきると、それは、涼しげな青みを帯びた銀色から、
淡い金髪へと変わっていった。


  「そなた、今、<神>と戦うと――口にしおったか!?」

  「そうです」


 目を丸くした<教皇>に、<皇女>が答えた。


  「実に……。実に、嫌なところでスイッチが入ったものだ。
   まあ、あの<皇帝>らしいが……」


 <福音書>から<女神>の姿を学びとり、自らの<さだめ>に目覚めた<皇女>を前に、
<教皇>の優しげな声は、裏返っていた。


  「それで、<皇女>よ。
   <皇帝>は、世界の半分を――<帝国>を生贄に<神々>とやりあうつもりかな?」


  「いいえ。戦いを挑むのは、私だけです」


 <教皇>は、はてと首をかしげた。


  「<帝国・皇帝>ならば、こう言うところだろう。

   戦うのは、我が<帝国>のみ。ゆえに敗れし時も、残りの世界は救われよう。

   もし、我らが勝てば、全ての世界が救われる。
   どちらに転んでも、<法王庁>には生き抜いてもらおうぞ。

   それが真実を隠蔽し、<神々>と人々を千年欺いた責任である。

   必ずその責任を果たせ! この、腰抜けの、薄汚いペテン師め――!」


 芝居がかった<教皇>の言葉を聴き終え、<皇女>は微かに苦笑していた。


  「そのお言葉、<陛下>の<ご命令>そのままです……。
   もし、私が<さだめ>に目覚めたなら、<教皇様>にそう言うようにと。
   そう、私は、命じられております……」


  「命じられておりますと、ほう!」


 感嘆の声をあげたきり、<教皇>は押し黙った。
目の前に佇む、人の手によって創られた乙女をしげしげと見つめる。


  「やれやれ、これは大変なことだ。創造主の<命令>を聞かぬとは……。

   この娘をしつけなおすのは……いやはや、わしにも無理だろうて。
   後の世の導き役を託そうと思うたが、これは、これは……。

   ううむ……!」


 <教皇>が白い顎鬚をひとこすりし、一声唸った。


  「あいわかった!

   いささか惜しい気はするが、<皇女>よ。
   そなたの身は、自由だ!

   後の世は今までどおり、わしがひきうけよう」