3. 1度の人生に『ディシプリン』を

左尾
飯田さんは今回の『ディシプリン』で
どんなことを訴えようとしたんですか?
飯田
ゲームのなかで訴えたいことは、
「ルールを疑うということ」・・・でしょうか。
左尾
ルールを疑う?
飯田
うん。いろんなルールがあって・・・。
左尾
世の中にはいろんなルールがありますね。
飯田
そのようなルールには
僕らが納得しているものもあれば、
不当なものもあると思うんです。
たとえばNHKの受信料を払わなきゃいけないというのも、
契約の理屈からすると、とても異常で、
罰則があるかといえばなかったりしますし。
左尾
受信料を不払いしても罰則はありませんからね。
飯田
でも、放送法の規約みたいなものはあって、
それと人を殺してはいけないというようなことが、
法として一緒くたに整備されてるわけですけど、
ルールには妥当なものもあれば、
そうでないものもあると。
で、国が違えばルールも違うわけだから、
なんかよくわかんないですよね。
そういったことに無条件で「はいはい」と従っていくと、
結果的には世の中はよくなんないと・・・。
左尾
そういったことを、
このソフトのなかで訴えたい・・・。
飯田
かな?(笑)
左尾
(笑)。
飯田
成功したかどうかはわかんないですけど。
左尾
正しいルールというのは何だろうと、
考えるキッカケにもなるということですね。
飯田
そうですね。
左尾
ゲームに登場するいろんな人から・・・。
飯田
事情を聞いたりするなかでね。
最初の話は贖罪なので、よき行いをするわけだけども、
その善し悪しにはすごく幅があるわけだから、
そこを考えなければ
本当の意味での善し悪しはわからないですよ。
言われたことを守ってるだけでは、
波風が立たないだけで、本当にそれでいいの?
というのはありますよね。
左尾
最後までプレイすると、
どんな気持ちになるんですか?
飯田
僕はいい気持ちになると思ってるんです。
その、贖罪の果てに、
ある種の希望みたいなものを提示したつもりなんです。
でも、ポカーンとする人も多いかもしれない。
左尾
ポカーンとしちゃう?
飯田
思いっきりネタバレになっちゃうので言えないですけど、
たとえば映画の最後のシーンを観た後で
席を立てなくなるようなことってあるじゃないですか。
左尾
ありますね。
飯田
まさにそんな感じで・・・。 ゲームの定型で言うと、魔王を倒すわけでもなく
世界が平和になるわけでもないから、
ちょっと外れてるかもしれないんですけど、
古典的ストーリーということで言えば、
もう大古典と言ってもいいかもしんないですね。
左尾
その流れで言うと、飯田さんは今回
「触れる文学」をつくりたいのかなあと思ったんですね。
飯田
はい。
左尾
『風のタクト』が出たとき
「触れるアニメーション」と呼ばれてましたよね。
飯田
そうでしたね。
左尾
それで「海亀文庫」というレーベルもつくって。
つまり、飯田さんのメッセージを読むことで、
ユーザーに何かを感じ取ってほしいと。
飯田
そう。ページをめくる代わりに、
ゲームのインターフェイスで、
ある世界に触れていくということですよね。
左尾
ええ。
飯田
それは本でやったほうがいい場合もあるし、
対話的にデジタルメディアでやったほうがいい場合もある。
どっちにもよさと悪さがあると思うので、
僕はたまたまゲームをつくってきたから、
ゲームでやっていきたいなと思ったんですけどね。
で、今回、いろんな犯罪について
深く考えることが多くて・・・。
左尾
それってつらくなかったですか?
飯田
つらかったですよ。もうイヤでしたよ。
左尾
楽しい作業ではないですよね。
飯田
本当に気持ち悪くなりましたしね。
開発現場も、日々頭痛とかね、みんな訴えてましたね。
左尾
たとえば作家のように、
飯田さんがどっかにこもって書いたんじゃないんですか?
飯田
僕はずっと同じ現場に通って、
机も用意してもらって、
毎日いっしょにお昼ごはんを食べに行き・・・。
左尾
ランチを食べながら暗い話をしてたんですか?
飯田
暗い話をしましたね。
「今回のあの事件、どう思う?」とか。
でもやっぱり、日々おこるんですよね、いろんなことが。
三浦知良が自殺したりね。
左尾
はい。
飯田
どうなってんだと思いましたよね、
小室哲哉が逮捕されたりしたし。
左尾
開発中に起こった事件で
いちばんショッキングだったのは?
飯田
Perfumeのスキャンダル。
左尾
迷わず言いましたね(笑)。
飯田
最初にのっちが撮られ、
翌週かしゆかが撮られ・・・、
あれは本当に凹みましたね。
左尾
(笑)。
それは『ディシプリン』の開発にも影響が?
飯田
影響してます(キッパリ)。
それはエンディングまでプレイするとわかるんですよ。
左尾
わかるんですか?
飯田
広島弁をしゃべる女の子たちが出てくるんですよ。
左尾
それはやってからのお楽しみということで(笑)。
そもそも、飯田さんって
「ゲーム作家」という肩書きを使ってましたよね。
飯田
そうでしたね。
ゲームクリエイターという言い方だと
何でもかんでもできる
切れ者みたいな感じがしますよね。
左尾
確かに。でも作家だというと、
頭をかきむしりながら、作品を生み出すような感じですよね。
飯田
作家なら間違えてもいいと思うんです。
失敗してもいいし、破滅してもいいと思うんです。
左尾
そのスタンスは
今回の『ディシプリン』が「触る文学」というのと
つながっていくように思うんです。
飯田
うん。
左尾
何かを表現したいと。
ただゲームを触って気持ちいいだけじゃなくって、
何かを作品から感じてほしいと。
飯田
そうですね。それは時代性とかですかね。
いま僕らは、2009年という時代だけは
共有してるわけじゃないですか。
日々おこる出来事というのを
さまざまな解釈をしながら生きているわけで、
その問題を描くことが、
いまを生きて何かを表現する理由だと思うんですよ。
逆に言えばそれしかない。
どこか遠くの不思議な出来事というかたちをとるにしても、
そこには現代を生きている我々が
きちんとアーカイブされていかないと、
やる意味がないと思うんです。
左尾
だから、今回の『ディシプリン』という作品は、
見た目はちょっと変な感じもするけれど、
実は「いま」という時代に
つながってるんだよということなんですね。
飯田
ものすごくつながってます。
でも、それは『ディシプリン』に限らず
全部そうだと思うんです。
『ファイナルファンタジー』にしても、
そうだと思うんですよね。
あのソフトのことは詳しく知らないので、
これ以上は語れないけど(笑)。
左尾
(笑) でも、そうやって時代性を出してるというのは、
まさに作家性だし、
ゲーム作家の仕事ということなんでしょうね。
飯田
そうですね。
左尾
それでは、まだダウンロードしていない人たちも
これを読んでると思います。
そういった人たちにメッセージをお願いします。
飯田
人生は1度しかないわけです。
『ディシプリン』に関して言えば、
あなたの人生にはダウンロードする人生と、
ダウンロードしない人生の2つの選択肢がいまありますと。
どっちでもいいけれども、僕らのつくったゲーム、
『ディシプリン』は「人を選ぶゲーム」だと言われてるんですけど、
実はそうじゃないんです。
選ぶのはアナタなんです。人が選ぶゲームなんです。
僕らは誰も選んでないですから。
で、『ディシプリン』というゲームのことを知った人が、
そこに手を伸ばすのも自由だし、伸ばさないのも自由。
まあ、どっちでもいいんだけど・・・
「どっちがいいの?」みたいな感じですね(笑)。
左尾
(笑)。
飯田
僕はダウンロードする人生のほうが豊かになると思います。
そう信じて『ディシプリン』をつくってきたから、
ひとつ甘言にのせられてみるのも一興だと思います。
左尾
ある種、本屋さんに行って、
ハードカバーの単行本は800円じゃ買えない、
ちょっと厚めの新書を買うような感覚ですよね。
飯田
まあ、ランチ1食分ですよね。
それで自分の見聞を広めることができるわけだから、
それはやったほうがいいんじゃないかなと思いますね。
それから、もうひとつ・・・。
左尾
何でしょう?
飯田
村上春樹さんにもぜひやってもらいたいな。
同時代を生きる表現者としてね。