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SUGAR教授の幕末コラム Vol.3

歴史コラムです。
今回は「越後人」について少々。

なぜ突然 越後の話なのかというと、
私自身が「越後人」だからという至ってシンプルな理由です。

そして皆、私の歴史コラムなど大して興味がないであろうから
個人的な地元愛のみで書いてやろうという、やさぐれでもあります。

萬代橋

しかし少々やさぐれているとはいえ、書くからには大真面目にやりますよ。

真面目…それは「自由」に書き散らかしている
”ジェントルKOICHI””YOU作”に対する私なりの反抗です。
(まあ、彼らも彼らなりに真面目にやっているのでしょうけどね…。)
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★ジェントルKOICHI

教授(プロフェッサー)~、越後出身なんスか~。
紳士も越後好きッスよ~♪いつも笹団子アザッス!

あ、今度コメ送ってくださいよ!コメ!紳士金欠なんスヨ~!

★SUGAR教授

………。
越後人と言えば誰を思い浮かべますか?

★ジェントルKOICHI

セルジオ!!!
サッカー選手はもれなくリア充っすから結構知ってるんスヨ⌒☆

★SUGAR教授

………ジェントルKOICHIらしいですね。
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信濃川

歴史上の「越後人」を並べてみよう。

知名度の高い人物では
上杉謙信、直江兼続、堀部安兵衛、山本五十六、田中角栄

「幕末」であれば、
河井継之助、本間精一郎といったところでしょうか。


なかなかパンチのある面々である。


幕末期の越後長岡藩、絶対的不利という情勢において無謀とも言える
武装中立を提唱し、錦の御旗を掲げる新政府軍にガットリング砲を
ぶっ放した河井継之助
は、自らを蒼龍と号した。

武装中立思想は、真実とは少々異なるのではないかと
個人的には疑問を感じてはいるのだが、
いずれにしても彼がヤンチャなギフテッドであったことは、
その行動から読み取れるだろう。

青年時代から諸国を遊学し、斎藤拙堂、佐久間象山、山田方谷
朱子学、兵学、陽明学を学んだ後に長岡藩の藩政改革を推進し、
学問、兵制、家禄改革を断行する。

大政奉還がなされ内戦の機運が高まると、彼は江戸藩邸と家宝を
処分した金で米の売買などを行い、軍資金を増やした。

日本に3門しかないガットリング砲をはじめ、アームストロング砲、
スナイドル銃など最新兵器を買い付けた。


譜代である長岡藩牧野氏は徳川慶喜を擁護する立場をとり、
これは戦に備えたというより、軍備を増強することで戦争回避の道を
模索したいと考えたと言われている。これが一藩武装中立である。

だがもしかしたら、河合自身は戦いたかったのかも知れないと、
私は勝手に思っている。


武士の世の終焉を迎えたこの時代において、
あくまで武士としての死に場所を求め、
最後の輝きを求めたとしても、全く不思議ではない人物だからだ。

河井は小千谷の新政府軍本陣に乗り込み奥羽への侵攻停止を求めるが、
会津藩討伐の先鋒にならなければ認めないという要求を叩きつけられ、
わずか30分で決裂する。

花火

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★ジェントルKOICHI

ガットリング砲って、超キモチ良さそうッスネ~☆
ぶっぱなしてみたいッス!

カワイイ子猫ちゃんのハートも紳士のガットリング砲で
ドッカン、ズッキューンwwwwなんちゃって⌒☆

ところで教授(プロフェッサー)、
「ギフテッド」って何スか?

★SUGAR教授

……キミとは正反対の人間のことですよ。
調べてみなさい。

★YOU作

教授(プロフェッサー)!「Rock」に関係ありますか?
僕に「Rock」をくださいっ…!!

★SUGAR教授

まぁ、ある意味キミは「ギフテッド」なのでしょうかね。
ある意味ね。。。
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新潟

八丁沖渡沼なる奇襲作戦によって、奪われた長岡城を奪還するなど
一時は最新兵器の力と河合の采配力を示したが、新政府軍の圧倒的な
兵力、火力により総崩れとなり、市街地は焼野原と化した。

長編小説『峠』の著者 司馬遼太郎は河合を"最後のサムライ"と評し、

あとがきに

「侍とは何かとういうものを考えてみたかった。
          それを考えることが目的で書いた。」
と綴った。

小説の中で河合と意見で対立する立場として描かれた小林虎三郎は、
小泉純一郎首相(当時)が2002年の所信表明演説で引用した、
「米百俵」の逸話によってあらためて注目された指導者である。

彼もまた、骨のある「越後人」である。

新潟の海1

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≪小泉首相の所信表明演説 2002年5月7日≫

明治初期、厳しい窮乏の中にあった長岡藩に、救援のための米百俵が届けられました。
米百俵は、当座をしのぐために使ったのでは数日でなくなってしまいます。

しかし、当時の指導者は、百俵を将来の千俵、万俵として活かすため、
明日の人づくりのための学校設立資金に使いました。

その結果、設立された国漢学校は、後に多くの人材を育て上げることとなったのです。

今の痛みに耐えて明日を良くしようという「米百俵の精神」こそ、
改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか。

新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、
国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。
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肴

この先も地元「越後」を愛する人間であり続けたいと思います。
皆さんも地元の偉人や歴史など、調べてみると楽しいですよ。

拙筆、なにとぞご容赦ください。
今回もご覧いただきありがとうございました。

次稿もよろしくお願いいたします。

新潟の海2

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