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【謹賀新年】ロッペン准教授の歴史コラム その参

『幕末Rock』ファンの皆様 新年あけましておめでとうございます。

寒い日が続いておりますが、風邪は引いておりませんかな?
SUGAR教授の一番弟子ロッペンであります!

教授殿は、どこへ行っているのか音信不通です。
このまま、連絡がないと私が教授になる日も近いのかも知れないっ!

おっと、やましいことを考えてしまったであります!
まだまだ教授には頑張っていただかなければ…。

ロッペンの歴史コラム今回のテーマは「開国」であります!

開国と聞くと『幕末Rock』ファンの皆様は、誰を思い出しますでしょうか?

やはり、浦賀にやってきた「ペリー提督」でしょうな。

この辺は、歴史の入試問題にもなっているので、知っている方は多いと思います。
ちなみに、その後日本にやってきた人物も当然ご存知かと思いますが、
誰だかお分かりになりますかな?

ほほーっ、やはり知っている方も多かったですな。

そう、「タウンゼント・ハリス氏」であります。
この方は入試問題によく出てきますぞ。

タウンゼント・ハリス氏

しかし!

ペリー提督タウンゼント・ハリス氏
この二人の違いについては、あまり知られていないのでありまする。

すごく簡単に話しますと、
ペリー提督は、提督と肩書があるように、アメリカ海軍の軍人なのであります!

本名はマシュー・カルブレイス・ペリー。

来航当時の文書には『彼理(ペルリ)』と書かれていたんですぞ。

提督の任務は当時鎖国していた日本に対して、
武力で開国を迫る役目でありました。

外国へ向けての交渉を途絶していた日本ですから、
交渉の舞台に上がらせるために、
アメリカ大統領の親書を手渡すことを
目的としてやってきたのであります!

最初は4隻の艦隊でやってきましたが、
2回目には7隻の軍艦でやってきて、
強引に「日米和親条約」を調印したのであります!

ペリー提督としては、
「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう」
日本人を見ていたようであります!”提督”という感じがしますな!!

そう、ペリー提督は、鎖国して眠っていた日本を
叩き起こす役目でありました!

では、もう一人の人物タウンゼント・ハリス氏とはどんな人物でしょうか?
このお方は、アメリカの外交官であります!

東洋に非常に興味を持っており、
日本へ向かうペリー提督の船に同乗を希望したものの、
軍人ではないので、許可がおりませんでした。

それでもハリス氏はあきらめきれず、一度帰国し、
日本の駐在領事に就任すべく、政界人の推薦状をとるなどの苦労をして
正式に初代駐日領事に任命されるのであります!

ハリス氏の任務は、日本を平和的に開国させ、
日本とアメリカとの「通商条約」締結をすることでありました!

ハリス氏は前述のように日本と日本人に大変興味があり、
喜望峰以東の最も優れた民族と評価していたのであります!

当時居住していた下田は町も家も清潔で日当たりがよいし、気持ちもよい。

世界のいかなる土地においても、
労働者の社会の中で下田におけるものよりもよい生活を
送っているところはほかにあるまいと日記に書くほどでありました!

タウンゼント・ハリス氏とは仲良くなれそうな気がしますぞ!

みなさんはもうお気付きでありますかな?
日本にやって来た2人の違い。

ハリス氏は後に病気を理由に駐日公使を辞任するのですが、
幕府は留任を望んだそうであります!

このように、歴史とはなんとも奥深いものでありまする!

そうそう、ハリス氏は私ロッペン同様、
大の牛乳好きで日本でも飲んでいたそうであります!

牛乳を公式に売買して飲用した人として、
領事館のあった下田玉泉寺には「牛乳の碑」がありまする。

ここ入試問題には出ないので、覚えなくてもよいですぞ!

それでは、ハリス氏の名言を以下に記載して締めとするであります!

「日本の国民に、その器用さと勤勉さを行使することを許しさえするならば、
日本は遠からずして偉大な、強力な国家となるであろう」


私ロッペンも勤勉でありたいと切に願うであります!

ご覧いただき感謝するであります!!

では本年もよろしくお願いいたしまする!!

押忍!押忍!押忍!