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SUGAR教授の幕末コラム Vol.4

歴史コラムです。
今回は幕末の「二本松」について少々。


二本松藩、丹羽家10万石は東北の小国であった。

旧式装備しか持たず、新政府軍の攻撃目標にすらならないこの小さな藩が
仙台、米沢の雄藩を中心に結ばれた”奥羽越列藩同盟”に参加し、
新政府軍に対して総動員体制での徹底抗戦を選択したのだ。

”奥羽越列藩同盟”の旗印は
「朝敵とされた会津藩、庄内藩を救うこと。そして東北の地を守ること」である。


それは、凄惨な消耗戦のはじまりであった。
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★SUGAR教授

「二本松少年隊」と「木村銃太郎」くらいは知っていますね?

★ジェントルKOICHI

知らないっス~!でも名前からして本気(マジ)でリア充の香りなんスけど!!!

「少年隊」とか!!新手の愛獲(アイドル)っスかwwww
「銃太郎」って明らかにイケメンガンマンwwww間違いないwwww

★SUGAR教授

この気持ちはなんでしょう…私のこめかみが激しく痙攣していますね…。
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幕末の二本松藩には、砲術師範であった「木村銃太郎」が率いた
「二本松少年隊」と呼ばれた63名の少年部隊が存在した。

国を守るため、家族を守るため、新政府軍と健気に戦い、そして見事に散っていった。

彼らの年齢は、幕末の悲劇として有名な「会津の白虎隊」よりもさらに若く、
現代で言えば、小学6年生~中学1年生くらいである。

このような幼い少年たちが、一部の例外ではなく一部隊として戦ったという記録は
世界を見ても他に例が無いのではないだろうか。


二本松藩では、15歳以下の従軍は認められていなかったが、
人手が足りない状況に少年たちが「自分たちも出陣したい」と志願したのだ。

重臣が「若い命を粗末にしてはいけない」と説得するも、
自分たちもこの国と家族を守りたいとの訴えに負け、
黙認というかたちで編成されたのである。

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★ジェントルKOICHI

ウ、ウウウウウ…オウッ、オウッ…。

★SUGAR教授

どうしたのです?

★ジェントルKOICHI

そんなことがあったなんて全然知らなかったッス!!

まだ遊び盛りの幼い少年なのに…自ら戦地に赴き、戦いに行くなんて…
「二本松少年隊」本気(マジ)かっこいいッス…! 

★SUGAR教授

紳士…。

★ジェントルKOICHI

紳士も明らかに人数合わせで呼ばれたリア充だらけの合コンに
参加して散ったことはあるッスけど…
自ら過酷な地へ赴く勇気…見習いたいッス!

今後は自ら積極的に参加表明、特攻するッス!!!

★SUGAR教授

……………頑張ってください……………。
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勝敗を分けたのは、主力武器であった小銃の性能の差である。
それも、まともな戦いにならないほどの圧倒的な差である。

二本松や奥羽越列藩同盟軍の主力は、射程が100メートル以下のゲベール銃であり、
おそらく100メートル先の標的にはほとんど命中しなかったであろうが、
薩摩、長州の新政府軍の主力は射程が700メートルほどあるスナイドル銃や、
連射式のスペンサー銃まで備えていたのである。

まさに、子供と大人の喧嘩であり、二本松城下の激戦での戦死者の割合は、
実に20倍以上の差があったとも言われている。

新政府軍の最高司令官であった板垣退助が、

「一藩こぞって身命をなげうち、たおれてのち已むまで戦い抜き、
武士道の精髄を尽くしたのは二本松を以て最上とする」


と絶賛したと伝わる。

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★ジェントルKOICHI

薩摩、長州の新政府軍は大人げないッスネ…リア充じゃないッス!

子供相手に銃を撃つなんて…そんな姿、好きな女に見せられないッスヨ!!!!

…SUGAR教授(プロフェッサー)、
今の紳士本気(マジ)でカッコよくないッスか!?www

★SUGAR教授

………。

今銃が手元にあったら…危なかったかもしれないです。

★ジェントルKOICHI

え、なんスか???

★SUGAR教授

なんでもないですよ。
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二本松藩の丹羽家は、織田信長の家臣であった丹羽長秀に通じる。

豊臣秀吉が使用した”羽柴”という姓は、織田家の双璧と謳われた筆頭家老の柴田勝家と
2番家老の丹羽長秀から一字ずつ取ったものだというのは有名な話である。

明智光秀と滝川一益を加えた「織田四天王」の家系で、
江戸時代の大名家として残ったのは丹羽長秀の家系だけである。

弱肉強食、下剋上の戦国を生き抜いた武士(もののふ)の血が、
300年の時を越えて、幕末の二本松に脈々と生きていたのであろう。


そして、


日本人の美学である「武士道的精神」を、身をもって示した二本松の魂は、
今もなお東北の人たちの中にあるのだろうことは、
2011年の東日本大震災以降、苦境の中で立ち上がる東北の人々の
その強い精神力に表れているように思うのだ。


やはり歴史は面白い。


拙筆、なにとぞご容赦ください。
今回もご覧いただきありがとうございました。

次稿もよろしくお願いいたします。


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