Web小説

第一話「胎動」

[p1][p2][p3]

【2】

 ――聖暦727年、春。


 <福音書>に記された<神々>と<人類>の約束。
 ――<神々>は、千年ごとに光臨し、<神々を信じる人々>に<祝福>を与える。

 その約束の千年の節目を来年に控えた春であった。

 <法王庁>は、来年に<神々>を迎えるための祭事<千年祭>を企画。
 今年はその<千年祭>の前祭として、様々な行事が予定されていた。
 その多彩な行事のうちひとつ、<春の感謝祭>に、
 天に捧げられた都市、清らかなる<聖都>は沸いていた。

 町を行く人々は思い思いの趣向を凝らした衣装をまとい、
 通りには、春らしい薄桃色やオレンジの花が敷き詰められている。
 赤や青の鮮やかな旗を掲げる露店では、今風に髪を結った看板娘たちが人々を誘う。


  「精霊の森直送のリンゴで作ったリンゴ飴だよ!」

  「ドワーフの釜だしパイはいかが?」


 <法王庁・食料庫>と<薬草院>から配給された物資のほかにも、食糧や医薬品を買い足す。
 特に薬は多くて困るものでもない。
 向こうで処方することも考えて、多めに薬剤となる品を仕入れた。
 最後に露店に立ち寄り、リンゴ飴を半分だけ買って、フェリクスは馬車へと戻った。


  「春は、<春の感謝祭>、秋は<収穫祭>か――。
    <千年祭>の準備で、人々が活気付くのはいいものですね」


 リンゴ飴を取り合って、子供たちが通りを駆け抜けていく。
 その小さな背を車窓から眺めつつ、フェリクスもリンゴ飴をかじった。


  「そんな甘いものを食うとは子供だな」


 窓から顔を出すといつの間にか、御者席に陣取るイアンの姿があった。


  「イアン!? どうして貴方がここに?」


  「同行することにした。     
    <七つ村>までは険しい山道が続く。
    重要な<使命>を持った神官が、村に着けなくては困るだろう。
    
    馬車は俺が駆る。
    そら、ラウロ司祭からの<許可書>もある」


 ひらりと<許可書>を見せる。イアンはすっかり旅支度である。
 フェリクスは面食らった。


  「私のために、そんな……。ラウロ司祭も人が良すぎますね」

  「まあ、<迷子の子猫探し>なんかを<使命>に数えるお人だからな」

  「でも、いいのですか? 問題視されている私なんかと一緒にいて?」

  「……。はっきり言わないとわからんのか。お目付け役としての<使命>、だ」

  「なるほど」


 フェリクスは苦笑した。

§ § § § §

 <聖都>を後にして、七日目の夜。
 フェリクスとイアンは、ひとつの町とふたつの村を経由して、
 目的の<七つ村>のある山岳地帯へとたどり着いた。


  「風が湿ってる……。一雨、来そうだな。その前に村まで着きたい、飛ばすぞ」


 風を見ていたイアンが、馬に声をかける。
 イアンの言葉に答えるように馬は高くいななき、足場の悪い山道を、たくましく走り出す。
 フェリクスは感心する。


  「すごいですね、イアン。馬と心が通じているんですね」

  「戦時中は軍にいたからな。馬の扱いと長旅なら、慣れたものだ」

  「え? そ、そうだったんですか……?」

  「言わなかったか?
    俺は生粋の<教区>あがりの神官じゃない。<連合>出身だ」


 さらりとイアンは言ったが、フェリクスは困惑した。

 軍人と聞けば、確かにそういうふしはあった。
 人の内面を見抜く鋭い視線や、機敏な動作。そして、運動神経抜群の鍛えられた肉体。
 だがフェリクスは、イアンが軍人だったと、考えてみたことなど一度もなかった。


  (そういえば過去の話を、イアンから聞くのははじめてだな。
    世界を二分した戦争だったんだ。イアンにだって……)


 御車台に座るイアンの精悍な横顔には、いつもどおりなんの曇りもない。
 冷静に山道の状況を読み、馬に声をかけて、手綱を引いている。

 ほどなくして道が平らになった。大きな岩がどけられて、道幅が広げられた跡がある。
 行く手の道は山裏へと回り込んでおり、その方角を指し示す、<七つ村>の看板が立っている。
 まだ人家の灯は見えなかったが、目的地は近いらしい。

 ――と、急に白い光が満ちて、辺りが照らされた。


  「なんだ、あれは!?」


 イアンが空を見上げていた。
 灰色の雲を抜け、流星が向かってきていた。見る間に空が白く染まっていく。


  「!」


 轟音が山々にこだまし、同時に、強風がフェリクスたちを襲った。
 馬車の幌が吹き飛び、馬の首も持っていかれた。
 衝撃で馬車から吹き飛ばされ、フェリクスの体は石ころのように地面を転げた。
 あと少しで谷底へまっ逆さま!、という……、間一髪のところでイアンの腕が伸びてきた。


  「フェリクス、大丈夫か!?」

  「な、なんとか……」


 イアンの腕に支えられ、フェリクスは目を開けた。
 岩肌を登り、ホッと息をつくと、イアンの肩から血が流れていた。


  「イアン、血が!」

  「いや、こっちはかすり傷だ。それより、足をやっちまったらしい」


 イアンが顔をゆがめて、足先を見た。


  「見せてくれ」

  「いや、薬さえ置いて行ってくれれば自分でやる。軍での心得もあるから心配は要らん。
    それより、お前は村へ急げ。神官として、<使命>を優先させろ。
    
    それにこの分だと、村には<薬師>が必要そうだ」

  「わかった」


 うなずいて、フェリクスは駆け出した。
 山陰の向こうからは、落ちた星のものなのか、光が射している。


  「さっきの光――。私はきっと見たことがある……。
    あれは……、あれは……!」


 フェリクスは、ある確信を胸に、夜の森を駆け抜けた。