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第一話「胎動」

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【1】

 きらきらした夏の陽射しが、水車小屋を照らす。

 畑を駆けていく、小さな背中。
 追いかけて、捕まえて、振り向かせればいつも、いたずらめいた丸い瞳を輝かせて言うのだ。

  「フェリクス、ずるいよ!」

§ § §

 ――聖暦719年、夏。

 その頃、まだ僕の故郷は、<連合国・領土>の端に位置する、小さな村だった。
 ここには、牛と鳥と畑と、壊れた水車と、おんぼろ学校以外になにもない。
 本当になにもない。そんな場所でも、子供たちは元気に遊ぶ。


  (罪がないな、この子らは……)


 元気に駆け回っている子供たちを見ていると、
 いつも、和やかな気持ちと同時に、不思議な気持ちになる。

 外では、<連合>と<帝国>が世界を真っ二つに分けて、
 大戦争をしている最中だというのに……。

 僕は、手にした<福音書の写本>を眺めた。

 <福音書>――。
 それは、<神々>が<人類>と約束を交わした、<契約の書>。


 <福音書の原本>は<法王庁・教皇様>が代々継承している。
 僕が持っているのは、その<福音書・原本>の一部を写したものに過ぎないけれど、
 それでも重要なことがたくさん書いてある。

 写本によれば、<神々>は千年ごとに地上に降り立ち、
 <神々>を信じる者たちに、<祝福>を与えるという。

 今日のような文明社会も、およそ千年前に<神々>が<人類>に、
 <知性>を与えたためにはじまったものだという。

 そして、ここが一番重要な点なのだが、
 <福音書の写本>によれば、<神々>は、いかなる争いも禁じている。


  (そうだよ。戦争なんて、するべきじゃない……。
  この子たちの未来には、戦争なんかなくしてしまいたい)


  「フェリクスー! またご本なのー!?
    次は、フェリクスが鬼の番だよー!」


  「僕が?」


 目を丸くすれば、子供たちはきゃっきゃとはやし立てる。


  「やーい! 本の虫!」

  「捕まえてみろー!」

  「よおし!」


 読みかけの<福音書の写本>を置いて、駆け出す。
 すばしっこい小さな背中たちは、あっという間に家々の影に、
 林に、畑のくぼ地に、紛れ込んで消えてしまう。


  「すばしっこいなあ、みんな。僕に、捕まえられるかな?」


 僕は少し途方にくれて、背の高い緑をかきわけて畑に入った。
 畑を進むと、ひときわ小さな背中を見つけた。


  「見つけたぞ!」

  「きゃあー! 本の虫だー! 本の虫が来るー!」


 歓声を上げて、逃げ回る。
 ようやく手が届いて、僕は小さな背中を、ぽんっと押さえた。


  「ほら、捕まえた!」

  「フェリクス、ずるいよ! なんで、あたしばっかり捕まえるの!」


 振り向かせれば、いたずらめいた丸い瞳を輝かせて言う。


  「ごめんね、僕より足が遅いの君くらいなんだよ」

  「なんかクツジョクだわ」


 どこで覚えたのか、そんな言葉を使ってみせる。


  「フェリクスさーん、そろそろ出ますよー!」

  「あ、はいドミノさん! 今、行きまーす!」


 村の若者に呼ばれて、僕は手を振った。
 すると、目の前のいたずらっ子は、つぶらな瞳で僕の顔を見上げた。


  「フェリクス。ほんとーに、行っちゃうの?
    その、ほうーちょーうお、とかいうとこに?」


  「包丁魚は魚だよ。法王庁って言うんだよ」


 夏の日差しを思わせる、きらきらした瞳が曇っていく。
 まるで夏の突然の夕立みたいだった。


  「フェリクス、遠くに行っちゃうって、本当なんだ」

  「今度の試験で、神官として採用されたら、お給料が出るようになるんだ。
    今より、少し、みんなを楽させてあげられる」

  「……」


 裾をぎゅっと掴まれて、僕は戸惑った。


  「泣かないで。<法王庁・聖都>でお土産を買ってきてあげるから……」

  「ほんとう? フェリクス、また戻ってくるの?」

  「戻ってくるよ」


 涙をためた大きな瞳が瞬いて、微笑む。まるで、夏の日差しみたいだった。


  「やった!」

  「お土産、なにがいいかな?
  
    そうだ。精霊の森のリンゴで作ったリンゴ飴があるんだって。
    買ってきてあげようか?」

  「ううん。あたし、指輪がいい!」

  「指輪?」

  「だって、隣村にオヨメにいったお姉さんが言ってたよ。
    指輪をもらったら、ずっと一緒に暮らすんでしょう?
    あたしフェリクスと一緒がいいもの」

  「それは結婚指輪なんだけどなあ……」

  「けっこん?」


 きょとんとした顔で首をかしげている。

 つぶらな瞳を見ていると、不思議な気持ちになる。
 大戦争の陰りは、この子たちには少しも及ばない。
 この子たちは、いつまでも、この何もないのどかな村で駆け回っていそうだった。
 いつまでも、いつまでも。永遠に子供のままで――。


  「ねえ、指輪がいいってば!」

  「わかった。必ず、買って帰って来よう」

  「うん、約束よ」


 僕は苦笑して、泥んこになっている小さな手と、約束の握手をした。

§ § §

 それは、胸騒ぎがする夜だった。

 <法王庁・聖都>で行われた神官試験は十七日間にも及んだ。
 道中の移動をあわせれば、実に三ヶ月以上も村をあけたことになる。

 途中の街まで迎えに来てくれたドミノさんと落ち合い、
 ようやく村の近くの山林へやってきた僕たちは、急に空が明るくなるのを感じた。

 仰ぎ見れば、大きな流れ星のようなものが空にあった。


  「なんだろう、あれは? 星、かな……」

  「流れ星ですかねえ? やけにゆっくり動いて……」


 ドミノさんとふたり、馬車から夜空を見上げた時だった。
 流れ星は、急に速度を上げ、地上へと向かった。見る間に空が白く染まり、轟音が轟く。
 驚いた鳥たちがいっせいに羽ばたいて、空へと逃げ去った。


  「星が落ちた!?」

  「あれは! 村の方角だ!」


 馬に鞭を打ち、僕らは村へ急いだ。
 村の上空だけ、まだ流れ星のものらしい白い光が立ち込めている。


  「あ、待って! 止めてください!」


 村へと続く林の中で、僕は小さな背中を見つけた。


  「おお、嬢ちゃんか!」


 小さなシルエットは、村の方を見つめたまま、凍りついたように動かない。


  「大丈夫かい?」


 すると小さな身体は糸が切れたように倒れてきて、僕の手の中にすっぽりと収まった。
 そして、激しく震えだした。


  「あたし……。
    フェリクスが帰ってくる気がして、おうちをこっそりでてきたの。
    そしたら、おおきな光が……、落ちてきて……。

    ねえ……。あの光、なんなんだろう? なにが起きたの……?」


  「ここで待っていて。僕が行って見てくるから。
    すみませんドミノさん、この子をお願いします!」


 ドミノさんに声をかける僕の上着の裾を、小さな手がぎゅうっと掴む。
 つぶらな瞳がいっぱいの涙をためて、不安げに瞬いている。


  「いや……。こわいよ……。フェリクス、あたしの側にいて……」

  「大丈夫、すぐ戻ってくるから」


 裾を掴んだ小さな手を握り、そっと放した、その時だった。
 村の上空にあった光が、輝きを増し、あっという間に僕らを飲み込んだのだ。


  「きゃああ!」

  「マリーッ!」

§ § § § §

 青年の手に乗った水晶の欠片から放たれる光は、
 小さな女の子が真っ白な光に包まれた姿を壁面に映したまま少しも動こうとはしなかった。

 水晶から照射される映像を見つめ、青年はゆっくりと瞬きした。


  「やはり……。
    やはり、ここで止まってしまうのか――?」


 薄暗い部屋の中に浮かぶその映像は、蜃気楼のように頼りなく揺らいでいる。


  「記憶が限界なのか?
    いや……、思い出せなくても、私は見ているはずなのだ。
    あの時の、光景を――」


 青年は、水晶の欠片を強く握り締めた。


  「頼む――! 私の記憶を映し出してくれ!」


 祈るようにつぶやき、ゆっくりと手を開く。
 水晶の欠片は、一際透明な輝きを放つと、ぼんっ!と、破裂音を立てて砕け散った。
 立ち上がる黒煙をまともに吸い上げ、青年はむせた。


  「ごほっ! ごほっ!」

  「どうした、フェリクス! 今の音は!?」


 扉を開け、長身の男が駆け込んでくる。
 フェリクスと呼ばれた青年が、むせながら声の方へと振り返った。


  「イアン……?」

  「なんだ、また実験なのか? 懲りないヤツだなお前も……」


 イアンと呼ばれた長身の男は言いながら、窓辺へ向かうと、勢いよくカーテンを開けた。
 薄暗かった部屋に春の光が飛び込んで、部屋の奥にいる青年の姿を照らした。

 それは、色白で痩身の男だった。
 栗色の長髪は額に柔らかく落ち、優しげな目元に微かに影をつけている。

 鼻筋はふっくらとして、どちらかといえば優美な輪郭だ。
 美形といってよい部類かもしれない。年頃は二十代前半といったところだろうか。

 砕けた水晶をつまんでいたが、その女性のように細い指には銀の指輪がキラリと光っていた。


 一方、窓辺に立つイアンと呼ばれた長身の男は、やや年上の二十代後半に見えた。
 がっしりとした逞しい体つきをしており、よく日焼けした肌は見事な小麦色だった。
 彫りの深い精悍な顔立ちで、特に印象的だったのがその鋭い瞳だった。
 瞳はごく薄い空色だった。

 ふたりは、白地に灰色と紺のラインの入った服を着ていた。
 それは<法王庁>の神官に支給される制服だった。


  「今のが、水晶に映像を焼き付ける、という技術か?」

  「ええ、自分の記憶を焼きつけてみたんですが……。上手くいかないものです」

  「それも<薬草院>の仕事なのか?」


 尋ねられて、フェリクスは顔を背けた。
 砕けた水晶を片付けるふりをして、机に並ぶ機械の陰に身を落とし、イアンの鋭い視線をしのぐ。


  「まあ……。そうですね……。
    病から人々を救うためには、様々な種類の知識と技術が必要なのです」

  「……失われし文明の<古代技術>でもか?」

  「一般的には禁忌でも、知っておいた方が良いことは……あります」


 イアンはうなずいて見せた。


  「そういうものなのか。
    まあ、お前は、<法王庁・薬草院>の優秀な<薬師>だものな。
    
    それでだが、優秀なお前に、これが出てるぞ」


 イアンは、<書類>をひらひらと振って見せた。


  「頼んでいた、新しい<使命>ですね!」


 フェリクスは顔をほころばせて、<書類>を受け取った。
 細いフェリクスの手が、<書類>を開く。


  『天上の神々の名の下に――。

    来年は、<神々>との約束の時、<千年目>である。

    我が<法王庁>は、<神々>を地上にお迎えするにあたり、
    全ての<教区>より<供物>を捧げる<千年祭>を執り行う。

    そこで、東部山岳地帯にある<七つ村>へ赴き、速やかに<供物>の収集を行うべし。
    なお、その際、<七つ村>に必要な生活物資をそろえ、届けるように。

    これは、神々のしもべ<司祭ラウロ>より発令の<使命>である。
    上記<使命>、下記しもべに託す。

    第一級神官フェリクス・フェアランド』


 <使命>とは、<神々の代理人>たる<法王庁・教皇>が、
 <神々>に捧げられた<法王庁・教区>を正しく導くために、お与えになるものだった。

 <使命>は、<教皇>直属の<司祭たち>が提案し、
 配下にある<神官たちに>発令する形となっている。
 内容のほとんどは慈善事業か、このような祭事関係であった。

 フェリクスは、その<使命書>が示す、目的地を確認した。


  「<七つ村>――、国境沿いの村ですね?」

  「すまんがそれが限界だ。それ以上、<帝国>に近づく<使命>は通せなかった」

  「いいえ、十分ですよ。ありがとう」


 フェリクスは実験道具を片付け、古書の山をどけると、さっそく旅支度をはじめた。
 その様子を、イアンは無言で見守っていた。
 だが、しばらくすると、おもむろに口を開いた。


  「フェリクス、お前は何故、<帝国>にこだわる?」


 鋭い質問だった。
 フェリクスは、荷造りに忙しいふりをして、顔を背けたまま答えた。


  「そうですね。
    理由は幾つかあるのですが、一番の理由は、
    <帝国>の医療現場を知っておきたいという個人的なものでしょうか」


  「下手な嘘だな――」


 フェリクスは振り向いた。
 イアンの鋭い瞳があった。何もかも見通すような瞳だった。
 イアンは険しい表情で言った。


  「<帝国>は<教区>とは違う。
    
    <講和条約>にもあるとおり、<帝国領>は、我々<法王庁>の干渉を受けない土地だ。
    <帝国領>では、<神々>の意思など関係ない。
    あそこは、人間だけの世界だ。     
    第一、<帝国皇帝>は、<神々>を信じていないと公言してるんだぞ?
    
    そんな場所に行きたいと言って、<法王庁>がいい顔をすると思うか?」


  「……」

  「お前が<帝国領>での使命にこだわりすぎている事は、問題視されている。
    ――そろそろ教皇様のお耳にも届くかもしれんぞ」


 そう言って去っていくイアンに向かって、フェリクスは頭を下げた。


  「イアン、忠告ありがとう」


 フェリクスは顔を上げて笑顔を見せる。
 その優しげな笑顔の中に拭いようのない影を感じて、イアンは首を振って出て行った。

 イアンが去って静かになった部屋をフェリクスは見渡した。

 医学書と植物図鑑に混じって、鉱物の資料、古代技術の書物がある。
 乾燥させた種々の薬草、薬剤をはかる天秤の他に、魔力漂う水晶片が転がっている。


  「なぜ、<帝国>にこだわるのか、ですか――」


 鳥たちのさえずる声に誘われて、フェリクスは窓の外へ視線をやった。

 よく晴れた空には雲ひとつなかった。
 可愛い声で鳴きながら飛ぶのは、春先に孵ったばかりの雛鳥たちだ。

 雛鳥たちは<聖都>を超え、東へと飛ぶ。
 遥か東、その彼方には、青々とした山脈が連なっている。
 そして、さらにその向こうは、<法王庁>とは違う、<神々>を否定するもうひとつの世界――。


  「イアン、私の故郷は、もう<あちら側>になってしまったんですよ」


 鳥たちの一生懸命に羽ばたく小さな翼を見つめて、フェリクスは目を細めた。
 彼らは国境を越え、どこまでも飛んで行ける。

 太陽は、まだ柔らかい春の陽射し。
 それでも、フェリクスは、夏の強い陽射しを思い起こし、眩しそうに目を細めて、
 雛鳥たちの姿を見守っていた。